モラ夫に悩まされる妻さんは、希死念慮に苦しむ人が多い気がする。わたしの妄想かもしれないけれど。
夫と暮らしていた時は、長い間「希死念慮」というものを感じていた。そんなにハッキリと感じていたわけではない。でも希死念慮は確かにそこにあって、夜寝る前などに「自殺マニュアル」なんかを読んでいた。笑
ひとりでトイレに入っている間に、こっそり泣いてみたり。でもそんな姿を子どもには見せてはいけないと思っていた。いや、知らず知らずのうちに見せてしまっていたと思うけど・・・
いつだったか、いのちの電話に電話して、「死にたいと思ってしまう」ことを相談したことがあった。相談員の方は、「旦那さんに相談してみて」と言いました。わたしは心の中で、相談なんてできないと思った。夫や子供の身体的・精神的なケアをするのは自分の役目だったし、子どもはまだ幼く、夫はわたしの話を聞いてくれるタイプではなかった。
夫が病むと数か月にわたり、愚痴を何時間もわたしに聞かせるけれど、わたしが病むと子どもを連れて実家に一時帰された。「元気になって僕をケアできるようになったら、帰ってきてね♡」というメッセージを感じていた。
子が精神的不調和を訴えた
初めて子が精神的不調和を訴えたのは、彼女が保育園のときでした。
「給食が食べられない」「保育園に行きたくない」と言い始めた。そのときは、そんなに重大なことだと思っていなかった。給食を少なめにしてほしいと園に伝えたり、仕事を休んで娘と一緒に過ごすようにしていた。ちょうど仕事がとても忙しくて、彼女に寂しい想いをさせてしまったのだと思っていました。そんな状態も数か月すると収まったので。
次にその症状を出したときは、小学1年生の時。夏休み明けでした。保育園のときと違って、わたしの仕事は忙しくなかった。新しい環境に変わって、疲れがでたのだろう。そう思っていた。これも数か月すると収まりました。
次に症状を出したときは、小学3年生のとき。このときは、給食だけでなく、自分は何か重篤な病気に違いないという疑いを持つ子どもになっていました。
一応心理学部だったので、「心気症」という病気があることを知っていました。
心気症とは・・・
心気症とは、自分が何かしら重篤な病気にかかっているのではないかと思い込み、強い不安が生じる精神疾患です。さまざまな検査を行っても、実際にどこが悪いということはなく、病気にかかっているかも、重篤な病気にかかるかも、といった不安は簡単に拭い去ることはできません。しかし、どれだけ検査をしても病気が診断できないので、いくつもの病院を転々とするドクターショッピングをするケースも多くなります。不安に駆られて日常生活に影響が及ぶこともあり、日常生活や仕事の遂行が難しくなることもあります。(出典:Medical Note)
けれど、彼女がわたしの習った心気症と違うところは、「お医者さんの話を聞くと納得する」ところだった。心気症の人は、自分を重篤な病気にかかっていると信じているので、お医者さんがどんなに「問題ないです」と言っても、「あいつはやぶ医者だ!」と信じて疑わないと習っていたので。
このときようやく、彼女がなにか大きな闇を心に持っているかもしれない、と思うに至りました。
良いカウンセラーは、相談者が自分の何に問題があるのか気付かせてくれる
娘は相変わらずいつも辛そうにしていて、こんなに小さいのにそんなことに悩んで可哀そうだと思いました。できることなら、取り除いてやりたかった。
娘を連れて、いろいろなところに相談に行った。けれど、芳しい結果は得られない。ここでダメなら一旦カウンセリングの旅はやめにしよう。そう思いながら、娘の通う小学校のカウンセリング予約をとりました。
娘はカウンセラーの先生と話したくないというし、無理強いすることではないので、親として赴いて話を聞いてもらおうと。
カウンセラーの先生と話していて、カウンセラーの先生が娘よりわたしを心配してくれていることに気付きました。そして自分が思うよりずっと、自分の精神は不安定な状況なのだと。そしてその結果、娘に悪い影響が出ているのだと気づきました。
(もしかしたら、娘はわたしが彼女を大好きだと知っていてくれていたので、自分が不調を訴えれば、「希死念慮」からわたしを引きはがせると思ってくれたのかもしれません)
超こんがらがった糸の中にいて、息も絶え絶えに縛られていたのに、そんなところに光があったんだ!って気づいた気分。笑
それからは楽しいことを探すことにしました。転機となったのは、やりたいなと思いつつ青天井に課金したらいやだなと思って避けていたソシャゲをやったこと。笑
楽しいことを探すことにした
これが本当に楽しくて、ネットゲームのなかでみんなでワイワイすることが、中学や高校の文化祭みたいな楽しさで、ずっと入り浸っていました。笑 あれはもう、本当のゲーム中毒。笑
心配していた課金も、やっぱり根が貧乏性だからかトータルで8000円で済みました。笑 これを高いと思うか安いと思うかは人によると思うけれど、あの時のわたしにはあのゲームは10万以上の価値がありました。笑
ソシャゲ熱がおさまったあとは、いろんな街に繰り出してみることにしました。行きたいなと思いつつ、なんだかんだなぜか言い訳して行かなかった街に。行きたかった場所に。
娘の精神的不調和はすっかりなくなった
そんなこんなで、自分原因説に気付いてから何年も経ちますが、あれから娘が精神的な不調和を訴えることはありません。
明るくたくましい人に育ってくれました。お友達も多くて、楽しい学校生活を送らせてもらってます。学校が全てとは言わないけれど、楽しく学校に通ってくれることは、わたしにとっては大変ありがたいことです。
それから、わたしはこの頃から、意識して夫の精神的なケアをしないようにしていました。彼の好物をつくったり、愛想をふりまいたりはしていましたが、精神的にはなかなかの距離を設けました。彼が仕事のことで愚痴を言っても、昔なら「大変だね。いつでもいくらでも話きくよ」という態度でしたが、「まあ~、みんなあるよね。大変だよね」そんなこんなでできるだけ流すように。
Twitter で相互さんも仰っていたけれど、我々は相手の痛みを考えすぎてしまう。
自分を幸せにするのは、MUST課題
昔読んだ、心屋仁之助さんの本のなかでこんな文章がありました。
「お母さんという人は、子どもをちょっとないがしろにしても、自分のやりたいことを優先して叶えていい」「お母さんはいつもきれいな服を着てたけど、自分はいつも貧乏くさい服を着せられてたなと子どもが思ったとしても、それでいい」と。
賛否両論ありそうだけど、わたしはこの経験を経てから、この話が理解できるようになりました。
ソシャゲの世界に足を踏み入れたあの時から、自分に我慢させるのはできる限りやめました。Aという道とBという道があったら、「正しい道」ではなく「楽しそうな道」を選ぶことにしました。
夫から逃げたのも、こっちのほうが絶対に「楽しそう」だと思ったから。そしてその選択は、「正解」だったと思っています。
わたしたちの人生は、我慢するために存在していない。誰もわたしたちにそんなこと強制できない。そう思いませんか?
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