母性本能とメサイアコンプレックス

メンタル

母性本能という言葉は、もうその言葉だけで「優しい」がにじみでている。イメージとしては、母親と思われる優しそうな女の人が、赤ちゃんをあやしているイメージ。

「赤ちゃん」は、何もできない存在で、監護者がいなければ身の回りを整えることもできない。裏を返すと、生殺与奪の権を監護者に握られているともいえる。生かすも殺すも幸せも不幸せも、監護者がその手に握るのだ。赤ちゃんにとっては、監護者は神に値するかもしれない。

とてもやさしいカサンドラたち

話は変わるけれど、モラ夫に悩む女性(=カサンドラ)と話しをするとき、いつもその優しさに癒される。食べたいものも、その日話す話題も彼女たちはいつも相手を慮る。わたしもたぶんモラ男を夫に持っていたと思うのだけど、残念ながら彼女たちの気配り力には遠く及ばない。笑

彼女たちの職業は、保育士や医療従事者など、ケアをすることを仕事にしている方が多い。やっぱり優しさがにじみでているのだろうと思う。

さて、自己愛性パーソナリティが多いとされるモラ男くんたちは、「どんな自分のことも受け入れてくれる女性」を求めているときく。八つ当たりしてしまっても、浮気しても、借金を重ねても、そんな自分のことを温かく受け入れてほしいのだとか。それはもう、「彼女」というより「乳飲み子をあやす母親」という存在に近い。

わたしは、そんなに優しいタイプではないけれど、夫と暮らしていたころは彼に辛いことがあったら全部代わってあげたいと思っていた。人は生きていたら少なからず悩んだり、葛藤したりするものだけど、彼の悩みを勝手に背負い込もうとしていなかっただろうか?って最近考える。

それはもしかしたら、愛とかやさしさではなく、メサイアコンプレックスに近いのではないかなと。

・メサイアコンプレックスとは・・・

無意識のうちに誰かの救世主となることで、自己肯定感の低さ、罪悪感、劣等感、無価値観を払拭しようとする心理状態のこと

モラ夫は自己肯定感が低い

これもよく言われることだけど、モラ夫は自己肯定感が低い。傍若無人にふるまったり、会社でどれだけ出世していても、自己肯定感はとても低いようだ。

夫も絵にかいたように自己肯定感が低い人で、周りが自分を馬鹿にしてるって信じてる人だった。「それはツライでしょう?」って聞くと「ツライ」って答えた。その姿は痛々しかった。

「自己肯定感」というのは、考えれば考えるほど興味深い。だって、顔の美醜もその自己肯定感には関係ないのだもの。「どんなに美しくパッケージしても、ゴミはゴミだ」と遺して自殺してしまった某韓国アイドルを思い出してしまう。

前にTwitterで整形を繰り返す女性が「どんなにいやなことがあっても、鏡をみてわたしは可愛いから大丈夫って思いたいから整形してる」ってつぶやいてるのをみて、なるほどなっていう気持ちになった。

自己肯定感って巷では、「自分に自信がある」みたいな雰囲気で語られることが多いけれど、臨床心理士である親友が言うには、「どんな自分でも大丈夫」と思える感情のことなんだって。だから自己肯定感を上げたり保つためには、自分を受け入れてくれるコミュニティに属するのが重要だとのこと。

それは愛情深いのか?それとも、エゴをぶつけているだけか?

話がそれたけど、モラ男が低い自己肯定感と戦っているのを見て、それを「救いたい・・」と思わなかっただろうか?って考える。

カサンドラと呼ばれる女性たちがどんな心理状況なのか、至らないわたしにはわからない。そんなこじれたコンプレックスは持っていないと思う。でも自分に関していえば、夫に対して抱いている感情は、純粋な愛情だったのだろうか?って考える。

小学生の頃から朝食が用意されていなくて、誕生日もお祝いしてもらっていなかった夫に言った。「あなたのお誕生日は、わたしが一生お祝いするね」って。(朝ごはん食べると具合悪くなるって言って、朝ごはんは食べなかったのよ)

愛する人には、いつも笑顔で幸せでいてほしいと願う。でもその感情が、相手の荷物を背負い込むところまで踏み込んでいないだろうか?っていう考えは、もしかしたらとても大事なのかもしれないって考える冬の夜です。

(Visited 38 times, 1 visits today)

コメント

タイトルとURLをコピーしました